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当家の歴史

昔と今

邸宅の様子

秋の思い出

パチャジュオウル家

パチャジュオウル・バー・エヴィ

パチャジュオウル・バー・エヴィはかつて牧草地であったバ-ラル地区にあり、アンテップ通りとカヴァクラル通りが交差する街角に位置します。邸宅の正面はアスランラルに面しているため、一日中往来を眺めることができます。

サフランボルを訪れる人々はまず、アラスナ・バザルのスカーフ屋やみやげ物屋で、パチャジュオウル・バー・エヴィと出会うことになります。みなさんは、カップや皿にパ当家 が描かれているのをご覧になるでしょう。皮のバッグやキーホルダーのデザインとして用いられたり、サフランボル邸宅の模型として、各地へ伝えられることもあります。ギョクチュオウル・コナウ(Gökçüoğlu Konağı)、ハジュ・メミシレル・コナウ(Hacı Memişler Konağı)、 カイマカムラル・エヴィ(Kaymakamlar Evi)のように、パチャジュオウル・バー・エヴィ もサフランボルのシンボルとなってきました。そのためにおのずと、重要な役割を担ってきたといえるでしょう。すなわちパチャジュオウル・バー・エヴィ は、サフランボルの伝統的な邸宅のイメージとして、人々の記憶に残されてきたのです。(引用元: Arkitekt Dergisi 1997年1月号)

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当家はパチャジュオウル・ハジュ・ヒュスニュ・エフェンディ(Paçacıoğlu Hacı Hüsnü Efendi)によって、1890年に建設されたことが知られています。パチャジュオウル・ハジュ・ヒュスニュ・エフェンディが1916年(1917年とも)に、妻のアイシェ(Ayşe)が1936年に亡くなると、邸宅は息子のオスマン・パチャジュオウル(Osman Paçacıoğlu)に相続されました。

当初、オスマン(Osman)と妻のファトマ(Fatma)に、シュクラン(Şükran)、ヒュスニュ(Hüsnü)、ムスタファ(Mustafa)の三人の子どもたちは、この邸宅を夏の間の別荘として使用していました。しかし、町にある家々を売ってからは、本宅としてこの家で暮らすようになりました。オスマンはサフランボルの有力な商人であるだけでなく、長年にわたって共和人民党サフランボル支部総裁を務め、1950年から51年にはサフランボルの市長にもなりました。

パチャジュオウル・バー・エヴィは角の一区画に位置し、地上階、中間階、最上階から成り立つ立方体の建物です。地上階には同形の両開きの扉が二つあり、邸宅の右側と左側に向き合って位置しています。

邸宅は、18世紀末から19世紀初頭にかけて建てられた建築と、同じ特徴を持っています。地上階から中間階にかけては、木製の階段が左右対称に配置され、広間の入り口はイーワーン式、部屋は二重の入り口の代わりに、両開きの扉から直接中に入るよう設計されています。また広間の隅とイーワーンに面した客室の壁には、花瓶を置くためのバロック式のくぼみが、最上階のイーワーンにある窓や邸宅の正面にも、バロック式の円形型の切妻が確認できます。これらはすべて、邸宅が建てられた時代の特徴を反映しています。

パチャジュオウル・バー・エヴィの最上階も、中央に広間を配しています。邸宅の設計において、広間は最も重要な要素だといえます。広間にはイーワーンが配置されています。イーワーンには長椅子が置かれ、お客さま同士がともに時を過ごすことのできる、憩いの場となっています。

それぞれの客室は独立した生活空間として整えられ、一部室ごとに暖炉、寝具入れ、洋服ダンス、長いすが配されています。外に面した壁には各々三つの窓があり、自然を感じることができます。

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それぞれの客室は独立した生活空間として整えられ、一部室ごとに暖炉、寝具入れ、洋服ダンス、長いすが配されています。外に面した壁には各々三つの窓があり、自然を感じることができます。

正方形のプランの上に建てられたこの建物には、四角形のモチーフが効果的に用いられ、パチャジュオウル・バー・エヴィの特徴となっています(引用元: Arkitekt Dergisi 1997年1月号) 。

一家は仕事の関係で冬の間をカラビュック県で過ごすようになり、後には転職に伴ってイスタンブールのペンディックに引っ越しました。邸宅はこれ以後、避暑地として使用されるようになりました。しかし、妻のファトマ(Fatma)が1981年に急死すると、邸宅は使われなくなり、オスマン(Osman)が1991年に亡くなってからは、長年にわたって放置されるようになってしまいました。

やがて相続人のシュクラン(Şükran)とムスタファ(Mustafa)は、家族の資産のうち、自身の相続分をヒュスニュ(Hüsnü)に譲渡しました。長い間使用されず、破損が進んでしまった邸宅をよみがえらせるため、ヒュスニュは何年にもわたって努力を続けました。そうして2007年、ようやく建物の修復開始にまでこぎつけたのです。 建物の大きさに加え、今後家族の住居としては使用されないことがわかると、邸宅は宿泊施設となることでよみがえり、サフランボルの歴史的な建築物としても価値が高められると判断されました。修復はこの考えに基づき計画され、およそ四年間にわたる努力ののち、2012年にお客さまのおもてなしを始めました。 パチャジュオウル・バー・エヴィは建築と立地双方の重要性から、サフランボルの歴史的邸宅の代表として生き続けていきます。



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